初の黒字決算 小田原かなごてファーム
2020年の4月に、この会社を譲り受け、名実ともに、私が社長になって2年。
途中、悪夢の小田原市長選挙とそれに続く一人10万円問題に対して「抗議の狼煙」をあげたことで干され、三重苦でもあり、四重苦でもありました。
小田原かなごてファームは2016年の2月に創業しました。当時は、パスポートという会社の子会社扱いで、私は役員ではありましたが、社長はパスポートの社長でした。
それ以来、ずっと、「赤字」でした。
それが第七期目、私が経営権を事実上持って経営をしてから二年で「当期純損失」から「当期純利益」が出るまでにもっていくことが出来ました。
農業や自然エネルギー小売や飲食といった、持続不可能な、耕作放棄地という負債を資産に変えていくという、とっても難しいテーマを取り扱う小田原かなごてファーム。
持続不可能なものを何とか持続可能な状態にしていこうということでがむしゃらに取り組みました。
その小田原市長選挙の一件で、干されてから、ソーラーシェアリングを2基、飲食店を1店舗、そして、本の出版と、3200万円近い投資をしました。
資本金が41万円の会社が、これだけ短い期間にこれだけの投資をすれば、会社が大変なことになることも当然にあり得ます。
事実、一瞬、金が回らなくなり、つぶれかかりました。その時、助けてくれたのは、他ならぬ私の父親でした。これには、本当に感謝をしています。
警察官であった、それも県警の幹部で、川崎警察署長や横浜市警部長を勤めた父親からすれば、
共産党に一定の理解を示す私のような振る舞いを手放しでは喜べないというのも、正直よくわかります。
私のそうした思いも一方で理解を示しつつも複雑な思いもきっとある事でしょう。私もその気持ちはきちんと持っているつもりです。
私のアイデンティティーは警察一家の息子であり、それが誇りでもあるわけですから。
しかし、そうであっても、息子の危急存亡の時に手を差し伸べてくれたことは、これは、もう感謝しかありません。
しかも、今期はきちんと私も含めた役員には然るべく報酬を払い、アルバイトさんにもお金を払い、全ての経費も払って、四桁近い当期純利益が出たことは、私の誇りです。
2021年の1月に飲食店をオープンさせたとき、妻も含めて、実家の義理の両親も、うちの父親も、内心とても心配したと思います。
この飲食店は、環境省のソーラーシェアリングの自家消費モデルを作るために補助金を獲得したのでどうしてもやらなければならない案件でした。
正直、コロナ渦にあって、何度も緊急事態宣言が出る中、誰もが「なぜ、こんな時期に」と思ったと思います。私も思いました。しかし、
「引くも地獄、進むも地獄」
そうであるならば、進むしかない
そう思って、お店をオープンさせました。
まさに一か八かのかけのようなものでした。
結果として、協力金も頂けることもあり、当初からやるならば小さな店舗で、ということで13坪の店舗でしたから、この協力金があったおかげで、
私の事業は軌道にのせることが出来たのです。
振り返ってみて、二度と、こういうガムシャラな経営はしたくない
そう、思っています。
何でこんな時期にやるんだというのは、むしろ、この時期だからこそうまくいくことが出来たのだ、とも思うのです。
本当にこれは、天のご差配で、一生懸命、全力で誠実に誠意をもって事に取り組んでいれば神様は見ていてくれるんだな、という事を感じずにはいられません。
一度は、小田原市長選挙からの行為で、土俵際まで追い込まれても、しょげずに、地道にやるべきことをコツコツと正道を歩んでやったことに対するご褒美が「協力金」という事だったのだと私は思ってます。
そして、多くの、私を支えてくれる皆さんが、小田原市長選挙以来、沢山の皆さんが支えてくれました。
20代前半の若者が小田原かなごてファームの事業に関心を持ってくれて、手伝ってくれるということも始まっています。
そうした人たちに対して、衷心から感謝の誠を捧げたいと思います。本当にありがとうございます。
まさに、小田原かなごてファームは、私が経営を引き継いでから2年でV字回復することになりました。
しかし、依然として、一息ついただけであり、ちょっと油断をすれば、再び厳しい局面にたつ財務体質であることに変わりはありません。
正直、今期はとんでもない額の法人税を納めなければならず、これを収めると、結構、会社のお金まわりは厳しくなります。
やはり、今期は、ソーラーシェアリングを作りたいところではありますが、次ヘのステップアップのための、我慢の時、と捉えて、ここは自嘲すべきかな?と思います。
経営をしていると、人生にも通じるのですが、今まで、僕はイケイケゴーゴーでいっていましたけれど、
更なるイケイケゴーゴーをするためには、ここは敢えて、我慢をするってことも必要なのかな?という事を最近、強く感じている所です。
そんな意味では、本格的に会社を経営することになって、一皮も二皮も剥けた小山田大和になったのかもしれないとも思います。
自分が自分ではない感覚に最近は襲われることも多くなりました。
経営というのは運もあるんだな
というこも感じます。
運も実力のうち
そうもいいまずか、経営もそんな側面があるのかと思います。
コロナの時期にやらなければ、こうはならなかったとも思います。
そんな意味では、小田原市長選挙を経て干されて這い上がった、絶対に負けんぞ、と思って取り組んできた、この反骨精神も、今の事業のベースになっているかもしれないとも思っています。
これにおごっていられるほど、経営状態がいいわけでもありません。協力金がない今、ここからが本当の実力を試される時ともいえると思います。
ただ、僕は、環境とか自然エネルギーでご飯が食べていけるのだということを若い人たちに示していくことが出来れば、とずっといってきました。
それが、出来るという事を示せたことは本当に良かったし安堵しています。
あとは、これを継続し、持続可能な状態にすることが、僕の果たすべき役割だと思っています。
耕作放棄地という負債、価値ゼロのものでも、見方考え方、視点や視野を広げれば、価値あるものになるという事、事業にも活用できるのだということを示せて本当に良かったと思っています。
当期も、しっかりと利益が出せるようにこれからも山あり谷ありとは思いますが全力で頑張っていきたいと思っています。
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