気候危機対策を見れば改革派か守旧派かがわかる 行政書士 小山田大和

query_builder 2021/10/17
ブログ
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今回の総選挙では、ポストコロナ社会を見据えた社会・経済システムの変革ということをどう進めていくか?という論点が本来はきちんと語られなければならないのです。


そして、その肝となるのが「気候危機」なのです。


気候危機問題に対して、総選挙というのは政権交代選挙ですから、どういうビジョンを打ち出すか?を見なければいけないし、見ることが出来ると思います。そして、そのスタンスを見れば、その政党が真の意味で改革政党か守旧派か?がわかるのです。



気候危機問題というのは、これまでの従来の社会経済システムの抜本的な変革をもたらします。


気候危機問題は、単なる環境問題、温暖化問題だけではありません。


経済政策でもあります。エネルギー政策でもあります。


気候危機の温床となっているものは、二酸化炭素です。二酸化炭素の排出を抑制していく、脱炭素社会を推進するためには、発電部門での二酸化炭素の排出を抑制しなければなりません。その為には、家庭や企業での省エネをより積極的に進めていく必要があります。


そして、電気の作り方を変える


ここが重要です。


石炭火力や原発から脱却した自然エネルギーの推進


ここへ転換していく事が求められます。


ここが、今の自民党や公明党政権では残念ながらできません。


自民党や公明党では、この国の統治機構を形作って来た様々なしがらみを打破して、ベースを作り変えるという発想がありません。


従来の既得権益の擁護に固執したままです。


電力業界は政治家に多大な献金をし、族議員化し(自民党の幹事長は典型的な経産省の族議員です)、官僚に対しては、関連企業への天下りポストを用意し、ずぶずぶの関係を構築しています。


こうした、癒着ともいえる構造にメスを入れない限り、気候危機を解決など出来ません。


この、政財官の鉄のトライアングルの癒着の構造こそ、本当の意味でメスを入れなければならないのです。


ですが、それをやらせまいとして暗躍しているのが、この人たちなのです。


自民党では変われない、変わらないというのは、自民党総裁選挙で、このトライアングルに果敢に挑もうとした河野太郎が圧倒的に党員に支持されていたにもかかわらず、議員票でひっくり返されて敗退したことからも明らかです。


河野太郎は規制改革大臣として、この点へ切り込もうと、経産省の改革派と組んで(タスクフォースの事務局、山田さんという官僚と組んで一気呵成にやろうとした)やろうとしたのですが、権力闘争に負けて、そこでの議論は事実上棚上げ、闇に葬られてしまいました。


経産省と強いパイプを持つ甘利明は絶対に河野太郎を総裁にしたくなかった。総裁にしてしまうと、脱原発や電力システム改革を推進され、自分たちが甘い汁を吸ってきた、様々な利権が壊されるから。だから、経産省の官僚は河野太郎のパワハラの音声や中国企業との闇みたいな話を出して、河野の追い落としを図った。安倍元総理の首席秘書官、今井氏も経産省出身の原発推進派ですから、その暗躍をしていたのです。


国民の声を無視して、自分たちの利権を守る事しか眼中になく、気候危機問題なんて、彼らにはどうでもいい、ということを示してしまった。それが今の自民党なのです。


世界の潮流は再生可能エネルギーへの転換、石炭火力や原発依存からの脱却なのです。しかし、日本(政府を牛耳っている人たちの思考パターン)はそこへの変革にかなり後ろ向きです。脱炭素を隠れ蓑にして、原発を再稼働させたい勢力がゾンビのごとく復活してきている。そういって過言ではないのです。


国民の意思などそっちのけなのです。


原発は発電コストも安くありません。

一度事故を起こしたら故郷を奪われます。

核燃料サイクルは既に破綻しています。

使用済み核燃料(いわゆる核のゴミ)の最終処分の方法、場所は決まっていないのです。


こんな、処理方法もわかっていない、未来につけを残す仕組みに依拠してまで、電気を作るという思考回路は、未来に責任を持つ大人の対応としてはいかがなものかと私は首をかしげざるを得ません。


小型原子炉でいいじゃないか?なんて高市早苗政調会長がバカみたいなことを言っていますが、小型だろうが大型だろうが使用済み核燃料は出るんですよ。


石炭火力を動かしたい人は、高効率の石炭火力とか、地下に出て来た二酸化炭素を吸収するCCSなんてものを、と主張するのですが、このCCSなんて、まだ、本当に技術としてできるかもわからないものにまたお金をかける代物なのです。もんじゅみたいなものじゃないか?


だったら、既に技術として確立されつつある太陽光や風力に更に投資をして、コストを下げる努力をするほうがはるかに生産的かつ現実的なのです。こんな当たり前な話を政治家や経済界や官僚が何故わからないのか?


わかっているのです。わかってはいるけれど、自分たちの利権が崩されることを嫌うからこういうことになるのです。


日本では当たり前のことが当たり前に通らないのです。


みんなで利権を守って、しわ寄せは国民が被るという情けない国になっているのです。


日本は、もはや、世界第二位の経済大国ではありません。そんなのは過去の話です。あらゆる意味で、世界から取り残されています。ジェンダー指標、幸福度、一人当たりのGDP、教育、全ての点で「後進国」といっていい。


環境政策、エネルギー政策も後進国も後進国です。


確かに、今までの大規模・集中型のエネルギーの仕組みは、高度経済成長期や日本が世界第二位の経済大国になるために山を駆け上がっている時には有効に機能しました。しかし、山を駆け上がった時に、つまりは、色んな意味で豊かになった時に、さあ、そのみんなが豊かになった後、どんなビジョンでこの国を運営するか?という方針なり指針がなくなってしまった。


私は、これからの国づくりとしては、小口とかシェアとか、そういう仕組みにしていく事の方がいいと思っています。


即ち、顔の見える関係で、水、食料、エネルギーを作る。そのほうが、地域の農地は守られ、農業も守られ、もし、災害などがあった時も、電気を自給できれば、あんなにメタメタに脆弱な都市基盤にはならないはずなのです。地域の経済も活性化します。



小田原では2015年の統計ですが、エネルギー支出として毎年186億円のお金が域外に流失しているのです。エネルギーを自給できれば、お金も外に流失しなくて済むし、エネルギー自給の方法として一番手のものが自然エネルギーなのです。そうすれば地域の中で新しい産業が創出され、雇用が生まれ、人の流失も防ぐことが出来るのです。


脱炭素、気候危機対策は経済政策だというのは、そういう観点からもいうことが出来るのです。


自分たちの生存に必要なものをあまりにも外部に依存しすぎた社会がいかにいびつであったか?


そこが、問われたのが、私は新型コロナウイルス問題だったと思っています。実は311と原発事故の時もそうだったのです。


自然エネルギーは、小規模、分散型社会の仕組みにあっています。


そうやって例えば日本の農地に無数にソーラーシェアリングを作れば、



耕作放棄地が耕作地に戻ります。


ソーラーの下で農作物を作る仕組みだから


農地を守れるし、食料自給率の向上にもつながります。


今、東京都は食料自給率はとうとう統計以来初めてのゼロ%です。神奈川県でも2%なのです。


これは、誠に由々しき問題と言えます。


だから、固定価格買取制度の創設以来、日本でも確かに太陽光発電が広がりました。しかし、それでも広がらなかった、使われなかった土地が聖域である「農地」なのです。


ですからそうした農地を有効に使い脱炭素に貢献できる具体的な取り組みとしてソーラーシェアリングは位置付けなければならないのです。


日本には400万ヘクタールの農地があります。もし、そこに全て発電設備を設けると原発1800基分に相当する電気を作れるという試算があります。そこまでやる必要はないですが、それだけの潜在力はまだまだわが国にはあるのです。そして、やる気になれば自然エネルギーの比率をあげる事は出来るのです。


やらないのは、やれない理由を色んなしがらみや利権を慮って形作り、そして、やらせまいとしているからです。


自然エネルギーをソーラーシェアリングで無数に作っても、そうして作った電気を電線に接続できないということも、現実に起きています。その理由が石炭火力や原発を動かしていく事にある、のですが、そうだとしたら、皆さんはどう思いますか?


そこを変えなきゃいけないのに、頑なに変えないのが、今の政府なのです。既に原発や石炭火力が優位性を失っているにもかかわらず、日本でこれほど幅を利かせるのは、そういうことなのです。


ある種のパンドラの箱


聖域中の聖域


なのです。


だから、ここを構造改革しないと、明日への日本の展望が拓けないんです。


そこが、国民も全然わかっていないのです。


ここを変えられたら、日本ほど飛躍できる国はない、と思います。


日本丸はいま、分岐点。


座礁、沈没するか?

翼はよみがえれるか?


その分水嶺に立たされているんです。


舵取りを間違えたら、日本は沈没するのです。


状況は明るくはありません。


脱炭素社会に向けた具体的な取り組みを質問されて


お風呂に水を貯めるとかLEDを


なんていっている総理大臣に、このドラスティックに社会経済構造を変革する脱炭素、気候危機対策をまともにやろうという野心は見えないからです。原発推進派が幅を利かせているうちは政府にいくら物を言っても無理でしょうね。


しかし、希望がないわけでもありません。


野党は、立憲民主党が自然エネルギー立国を掲げています。


共産党は気候危機を食い止めろる2030年戦略を発表しました。


ほぼ何一つ変える気のない与党より、変える気のある野党に託す方が、この国を抜本的に変えることに繋がります。


政権交代なくして、この腐りきった、停滞した我が国の閉塞感を変えることは出来ないと私は思います。


今の政府は事なかれ主義です。


こんな状態を続けたら日本は死んでしまいます。


脱炭素や気候危機に対して何とかしてくれと言っている若い人たちの思いにこたえることもできなくなります。


脱炭素社会というのは、従来の社会経済構造を抜本的に変えていく事です。気候危機問題に取り組むというのは、つまるところ、そうしたことにメスを入れるということなのです。単にエネルギー政策を変更しましょう、という程度の話ではなく


この国の形を作り変える


ことであり、


個々人一人一人の生き方や暮らし方を変えていく


地域のありようも変えていく


ことに繋がるのです。


夢のある、壮大なテーマじゃないですか


だから、私はそういうことにつながる気候危機対策に対して、それぞれの政党が、どのようなスタンスでいるか?を見ることが、本質的に、その政党が改革政党であるのか守旧派政党であるのか?がわかるといっているのです。


そういう観点から言うと、河野太郎を総理に出来なかった自民党は、しがらみから脱却できない守旧派の政党であり、政権交代をしなければ、残念ながら気候危機・脱炭素革命というベクトルに舵を切ることはできない


ということなのです。


今回だけでは気候危機がメインの争点になることは難しいです。しかし、これから、気候危機はより深刻になります。そして、第二のコロナのような想定できない事象が様々起きてくるでしょう。僕たち私たちの暮らし方生き方が本質的に問われる時代が来ているのです。


だからこそ、気候危機のうねりは政治問題化してくるでしょう。その時に、そのことに真正面から向き合う政党が一定程度の勢力になれば、今の政府与党もうかうかとしていられないと思います。


私のように小さくても思いをもって、エネルギー自給を地域の課題解決と共に推し進めていく事。そして、政治的な発信をし続け、どのような妨害にあってもへこたれず、突き進むこと。そそうすれば、政治もやがては変えていく事が出来る。そうした社会運動を絶対にあきらめない、ということが、希望だと私は思っています。


同じ志を持つ方、ぜひ、現場で現場から改革のうねりを起こしていきましょう。




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