日本初の日本酒づくりに込めた思い
今、この1/9に立ち上げた農家カフェSIESTAの事務所に一人いてタイタニックのサントラを聴きながら、このブログを書いています。
タイタニックは1997年に大ヒットした映画です。
僕は当時、高校三年生。
受験期であったのに、好きな女の子のことばかり考えていた時期なのですが(笑)
その好きだった女の子とデートして見に行った映画がタイタニックでした。
当時18歳の人間が、今、41歳。あれから23年が経ちました。当時、自分が夢見ていた自分とは全く違う人生を過ごしています。
今まで、とにかく、一生懸命、全力で、日々悩み、迷い、葛藤しながら、そして、失敗もしながら今日まで生きながらえてきました。
そんな、僕が、農家カフェの次に仕込んでいるのが、日本酒造りです。
といっても、私が作るわけではありません。
私が作ったのは「キヌヒカリ」というお米です。
「自然栽培」といって、除草剤や農薬や肥料を一切使わない農法でつくりました。
そして、ソーラーシェアリングといって、農地の上に太陽光発電を設置して、発電と農業を両立させる仕組みの場所で作った米で作った日本酒です。
このソーラーシェアリングの場所は耕作放棄地=おひるねしていた田んぼでした。そこをよみがえらせて、つくったお米です。
この壮大な計画にご協力いただけるのは、創業1789年ですから、寛政元年。
歴史好きの私だとすぐに「寛政の改革=松平定信」という風につながるのですが、フランス革命が勃発した年でもありますね。
時は江戸時代の11代将軍徳川家斉の時代です。
余談ですが、この家斉というのは別名「おっとせい将軍」といわれました。
とにかく精力が強く、生涯に設けた子供は53人です。その政治が始まったころです。彼は13歳で将軍になって将軍在位は50年に及びますから長いのです。田沼意次が失脚してすぐ。家斉が死ぬ頃は「義民」を掲げた大塩平八郎が大阪で乱を起こした年になります。
その時代から酒造りをしている「井上酒造」さんです。
井上酒造さんは、今回、実はこの私どもが運営するソーラーシェアリングからみんな電力さんを介して電気を調達しています。
つまり、日本酒造りで、一切、二酸化炭素を排出しない日本酒を作る仕組みを導入しています。
ソーラーシェアリングで出来た電気で日本酒を作り、その下で出来たお米を原料として日本酒を作る。究極のエシカル(倫理的)な商品をこれから、いよいよ、制作に入ります。
世界で脱炭素社会が気候危機の観点から叫ばれています。
私たちは地球市民として何が出来るか?
その一つが、エシカル消費というマインドではないでしょうか?
再生可能エネルギー100%の日本酒
CO2を一切出さない日本酒
そういった商品を、市民が当た前に選択していく時代が、次の時代を作っていく事になると思っています。
つまり、今ある限りある資源を、次の世代、そのまた次の世代に引き継いでいく、換言すれば、譲っていく、という精神が、これからのポストコロナ時代にも求められていると私たちは思っています。
そんな観点から、井上酒造の井上寛社長とも相談して、この日本酒は、まさに、そうした精神を体現する言葉である
郷土・小田原の英傑、二宮金次郎(尊徳先生)が残した
「推譲」(すいじょう)
にしようということになりました。
そして、この言葉を誰に書いてもらうのか?
私も井上社長も一致した人物、それが
加藤憲一前小田原市長
でした。
そんな思いを加藤憲一さんも理解してくれました。
そして、書かれた、文字がこちらです。
いま、この文字を最大限に引き出すデザインをデザイナーさんに依頼しています。
この、おひるねみかんジュースをデザインしてくれた方が頑張ってくれています。
いま、世界で言われているSDGSというのは、まさにこの推譲という精神の具体化だと私には思えます。
足るを知る
という言葉があります。
私たち地球市民は、その言葉を忘れてしまった。
際限のない「欲望の追求」が今の社会のひずみを生み、地球が悲鳴をあげているのです。
自分たちのことだけ、「今だけ、金だけ、自分だけ」でなく
全ての生けとし生ける生命体が持続可能であるためには
「程よきところ」で次に譲っていく、という精神
が必要なのです。
それが、まさに「推譲」という言葉ではないでしょうか?
私は今こそ、この言葉を多くの人に知ってほしかった。
更に加えていえば
勝てば何をしてもいい
勝つためには手段を択ばない
そういう「やり方」は決して持続可能ではない。
人に何かを譲る、ということは、その人が大きな心でなければできえないこと。
二宮金次郎は、それを為政者にこそ実は求めました。
そこをもう一度、考えてほしい。
そんな思いを込めて、
恐らく、これも、日本で初めてとなる、脱炭素日本酒、再生可能エネルギーで作った電気ですべてつくる日本酒。
ソーラーシェアリングの下で作られた米で、地元の米と水で仕込む日本酒。
これだけ揃った日本酒造りは日本で初めての取組であると私は思います。
井上酒造の銘酒「箱根山」を囲んで。わたし、父親、井上社長。
あとは、味です。
しかし、井上酒造の杜氏はとても優秀な人です。
「酒造りは人づくり」
というそうです。
作り手さんの熱意なり、思いがにじみ出てくると思います。
今後、このブログで進捗をちょいちょいあげていきます。
もちろん、完成したら農家カフェシエスタでお披露目の飲み会をしたいと思います。
今のところ、完成は三月上旬を予定しています。
発売は
「震災から10年」
の節目に間に合えばいいな、と思っています。
やはり、私が、今のような様々な動きをするに至る大きなきっかけが3.11と原発事故であったことは疑いようのない事実ですから。
10年たってここまでの到達をしたのだということを天下に示したいと思っています。
それまでに、コロナが一定の快方に向かっていることを祈るばかりです。
あー思う存分、伸びをしながら、心おきなく酒を飲みたい。楽しく飲みたい。仲間たちと。
そして、語り合いたい。未来のことを。
そして、まあ、私が言うのもなんですが
この日本酒造りを通じて、分断してしまった小田原の人間の関係性が一円融合
溝を埋める一つのきっかけになればいいな、と思っています。
そんな意味でも、私としては、そうしたことも意識しながらこの日本酒造りをしていきたい。
だからこそ、とても気合いを入れた日本酒造りでもあるのです。
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